ひろプリ監督・プロデューサーの示した「ヒーロー」観 について
【注意】
当サイトの最新記事がコレになるのは趣旨に合わないという事で
投稿日時を弄りました。
ひろプリ、私には合わなそうです。
これ以上これに関して記事を書くことは無いと思います(2023/02/16追記)
新番組の事は触れないつもりでしたが、
一個だけどうしても言いたくなったので失礼します。
ひろプリ制作者が作中で示した「ヒーロー観」について。
私は「蛮勇」を「ヒーロー」と呼ぶことに非常に大きな違和感がありました。
本作が、「敵うはずのない敵に無謀無策で立ち向かう事をヒーローと定義付けした」
事にガッカリしたんです。
過去のヒーローたちのそれは
「目的を果たすため、結果的にそうなった」ものであって、
「それをやるのがヒーローである」という認識は違う
のですよ!
表現の本質からはずれてしまっているのです。
強大な敵に無謀に挑むと言うのは、目的のためにはそれしかなくなった者が
結果のためにやむを得ず取る行動であって、
それ自体を目的にするべきものではないんです!
「単に強大な敵を前にして恐怖を抱きつつもくじけない姿を見せる事」がヒーロー
なんじゃありません。
「守りたいものを守るために、勇気を出して行動する姿」がヒーローなのであって
そのためなら逃げても隠れても土下座しても、
変身しなくても、戦わなくても、時には無様に見えたって人は
ヒーローになり得るのですから!
ソラが手帳に書いていたヒーロー観と彼女の行動は
「ヒーローの外面・カタチばかりにこだわっている」ようにしか見えないのです。
それはすなわちプロデューサーや監督の「ヒーロー観」を示す場面。
「ヒーローを描く」という作品のコンセプトの出力が
どういうものなのかがここに見えてしまっている。と言う事でもあります。
たぶん、ですが、
今年の監督さんらの物事の理解や表現の出力は、
ごく表面的なところに終始してしまっているように見受けます。
デパプリは「明確な作意や目標」から逆算して設定や表現のアイディアを作り込む
様子が観察できましたが、今作にはその気配を感じません。
ー実際がどうなのかはもう少し先まで見ないと断言できませんが、
1話を見た限りでの「印象」では。
それが悪いという話でもありません。私の好みには合わないというだけの事です。
※ ※ ※
このお話の流れならば、
「ヒーローとはどういうものか」を語るのではなく
■攫われた赤ちゃんをどうすれば守り切って親もとへ返せるか考える事
■赤ちゃんの怖い・寂しい想いや両親の悲しみに想いを馳せ、行動する姿
■その結果として「あなたはヒーローだ、と呼ばれる」
そういう展開の方が良かったんじゃないかな・・とおもいました。
またこの第一話の構成は、ヒーローというテーマを表現するために
予め会議で出した場面のアイディアにしたがってキャラが「動かされている」
印象が強く、キャラの自然な動きが少なく、活きの良さや魅力が
出しきれていなかったように感じました。
人物本位ではなく筋書き本位の作り方をしているかのような。
※ ※ ※
「怖い」「だけどそれを押し殺してでも行動する」からには、
それ相応の理由・動機が必要で、ソラの場合それはヒーローへのあこがれだった
わけですが、そのあこがれや目的意識の理由が不明だったことで
いまいち感情移入できるポイントがなく、最初の変身が盛り上がり切らなかった
気がします。
もちろんそれは今後明かしていく予定なのでしょうけども。
まあ、まったく売れないヒーロー漫画を描いてる
私が言ってもまったく説得力が無いんですけどね!
゚・*:.:♪*・ついでに゜゚・♯*:.。. :*・゜
アクションの作画がすごい
見ていてひたすら気持ちが良かったし、さすがだなぁ・・・と思いました。
関根さんの声がよかった。
ハリがあってカッコイイ。
「ヒーロー然」とした感じはキャライメージに非常にピッタリだと思いました。