デリシャスパーティ―プリキュア劇場版・「夢みるお子様ランチ」レビュー
最速上映に行って来ました。3年ぶりです。
≪注意・ネタバレレビューです。バレどころか詳しく解説する記事です≫
今回の映画の感想を一言で言うなら、
「細かな不満もなくはないけど、それでも100点!と
言いたい。そう言いたくなる、とても楽しい映画」
です。
以下に思った事を箇条書きにしていきます。
≪よかったとこ≫
- 明るいシーンが多くて全体的に楽しげな雰囲気の進行が意識されていた
- 劇伴がカッコよかった。アクションパートの盛り上がりにもよくマッチしていた
- 謎のタレントノルマのいなし方がうまい。
- 敵ボス・ケットシーが演技力のある人で良かった。
- 物語のテーマが明確で、フリとオチでしっかり芯が通っていた
- 「劇場版といえばコレ」と言える要素をすべてきっちり扱っていた
- 「子供には退屈な、敵の動機や詳細などの説明」パートが簡素。
≪不満点≫
- 敵の動機が複雑で敵なのか味方なのか、子供は混乱すると思う
- 最初の「変身」が全然カッコよくなくて残念。
- 特別フォームになる道理が無い。「映画だから」というメタな事情が隠せていない
と言ったところです。
不満点はどれも無視してもぜんぜん構わない、難癖みたいなものばかり。
映画スタプリのような、前例にとらわれない発想力から繰り出される
衝撃や感動、斬新なクライマックスと大きな満足感!というようなものは無いですが、
あんなのがやれるのは天才的発想力と幸運な条件が揃った時だけであり、
狙って作りに行くようなものではありません。
なにより、あれを意識したり狙って作ろうとするのだとしたら、
それはもう子供向け作品のプロデュースとは言えないでしょう。
エモいと褒められたい下心や功名心に気を取られず、きちんと基本に立って
「子供たちが楽しいと思えるシーンを沢山用意して、家族で楽しめる映画」を
作ってくれたことに感謝と敬意を表します。
゚・*:.:♪*・゜゚・♯*:.。. :*・゜以下、具体的に触れていきます。
- 明るいシーンが多くて全体的に楽しげな雰囲気の進行が意識されていた
「ドリーミア」入園から始まる今回の特別な舞台で、プリキュアが楽しそうに遊ぶ
様子が沢山描かれていました。
その様子を見ているだけできっと子供たちもまるでそこで遊んでいるような
気分を感じられたんじゃないかと思います。
- 謎のタレントノルマのいなし方がうまい。
毎年恒例の謎の「タレント枠」。今年は和牛さんでしたが、その役は
棒読みでも問題ないどころか、それが求められる「警備ロボット」。
おかげでエンドロールを見るまでは「今年は気が散るタレント起用が無くて良かった」
とさえ思っていました。
- 敵ボス・ケットシーが演技力のある人で良かった。
一方のボスキャラ・ケットシーは複雑な過去を持つサイコなキャラであることから
非常に高いキャラへの理解力と創造力が求められる役だったはずですから、
これをタレント枠にしちゃっていたら、この映画はそれだけで台無しに
なるところでした。
花江夏樹さん、私は「炭治郎の人」としてしか知りませんが、
有名なだけの事はあるなーと思いました。
- 物語のテーマが明確で、フリとオチでしっかり芯が通っていた
田中仁脚本は、作り始めに必ず物語ごとの主題をしっかり据えて、
そこからさかのぼって序盤に「前振り」を仕込みます。
だからお話が分かりやすく、見終えた後にスッキリ感があるのです。
今回もそういう作り方がなされていました。
詳細は後述します。
- 「劇場版といえばコレ」と言える要素をすべてきっちり扱っていた
・普段とは違う私服と舞台。
・妖精たちも変身する特別感
・強大な敵とのド派手なバトル
そうして劇場版だけの特別感を出してくれると、それだけでも
「いつもと違うプリキュアを見たな」という満足感を得られたりするものです。
今回はそれらの要素をキチンと強調する意識が見られました。
ドリーミアで遊ぶ時間がたっぷり取られていた事や
ラスボスがパーク全体という規模の大きさ、通称「板野サーカス」
みたいなアクションの派手さは意思表示としても非常に分かりやすいです。
- 「子供には退屈な、敵の動機や詳細などの説明」パートが簡素。
ケットシーの事情は複雑。
①天才少年がいました ②悪い大人に利用されて世界征服の手段にされてしまいました
③失意の中で幼いころのゆいと出会い、お子様ランチを通じて料理は笑顔と教わり、
そして笑顔の作り方を思い出す。
④ゆいのように笑顔を作れる人になりたい、そう願い再起してドリーミアを作る
⑤だけど「大人への憎悪」で歪んでいたそれは「コドモ帝国」となってしまう。
⑥ローズマリーを戻して、と言われても拒む事からプリキュアとの争いになる
「シンプルな悪党」ではない彼にはこういう経過がある訳ですが
こんなの子供には分からないし、分かったとしてもこれが「面白さ」を担保する
訳でもない。
だから「理解するに足る程度の情報を出したらそれ以上は察してもらう」
手法を取り、子供にとっては暗くて難解で面白くないシーンは最低限にとどめる
配慮がされていました。
ここを長く、ペラペラクドクド喋らせちゃう人が居るんだよなぁ‥
それを知っているだけに、この手際の良さは本当に見事だと感じました。
作者は当然会議したりしてケットシーの詳細をしっかり作り込む訳ですが、
だからと言ってそれを作品の中で全部説明する必要なんてないわけです。
最低限分かるだけの情報さえあればいい。その情報を的確にピックアップするセンスや
その発想が出来る事は、テンポのいい作品を作るうえで
欠かせないものであるはずです。
≪不満≫
- 最初の「変身」が全然カッコよくなくて残念。
最初の変身のシーンで、私はガッカリしました。
それは考えてみれば当然で、このシチュエーションはプリキュアにとって
「不利な状況から逃げ出すための手段」でしかなかったのですから。
「変身」!のシチュエーションはヒーロー作品を扱うならいつだって
こだわって欲しい所。ましてここは「映画で見る変身」なんです。
こんな冴えないシチュエーションではなく、もっとアツくてカッコイイ、
応援したくなるような環境を用意してほしかった。
「田中裕太ならこんなシチュエーションで変身なんて絶対させてない。」
反射的にそう思ってしまいました。
それは田中監督が絶対基準と言うのではなく、
「ヒーロー作品が守るべきお約束」には
そうなる道理があるという意味で。
「変身」は展開の都合に合わせて消費されるノルマなどではなく、
これを最高にカッコよく見せる事が作品の「目的」であったはずです。
- 特別フォームになる道理が無い。「映画だから」というメタ事情が隠せていない
クライマックスの特別フォーム、あれは妖精たち、とくにコメコメにとっては
非常に意味深いものでした。
「ゆいみたいなヒーローになりたい!」その願いが知恵と勇気を出した先に
実現するシーンなのですから。
だけどプリキュアが特別な姿になる道理は実は全く無いんです。
「プリキュア映画ってそういうものだから。」そんなノリと勢いで
その場は私も流されてしまいましたが、後から考えると「あれ?」となります。
まあ、これもまた子供にとっては「いつもと違う姿になった!」で
喜べるシーンのはずですからこれで良い。とも思うのですが。
゚・*:.:♪*・゜゚・♯*:.。. :*・゜ストーリー
上記のとおり、今回の事件はケットシーが
「ゆいに貰った笑顔を自分も誰かにー」そう願った事が始まりでした。
しかし「大人への憎悪」から、出来上がったものは
ピーターパンのネバーランド、あるいは
「オトナ帝国」を彷彿とさせる、いわば「コドモ帝国」。
そこへ心配したローズマリーが強引に突入してきたことで
その狂気が顔をのぞかせます。
※ ※ ※
今回の物語の主役はコメコメ。
そしてテーマは「君のようなヒーローになりたい」。
ケットシーもコメコメも、ゆいのような人になりたいという願いを語りますが
ケットシーが差し出したお子様ランチをコメコメは拒みます。
コメコメは「早く大きくなって、ゆいのようなカッコいい人になりたい」から。
「お子様が食べるものなんかで喜びたくない」って訳です。
これを聞いたケットシーは憤るかと思いきや、
その「純粋な夢」を応援する。その心は邪悪さは無いように思えるのですがー
「大人=醜い」そう考えてしまっているケットシーの前に
彼の狂気が暴走を始めました。
ケットシー自身は悪くはない。だけど、幼いころのひどい体験が
いびつな心を作り、それに「不思議な石」が力を与えた。
今回の敵は、そういった「攻撃的な敵意そのもの」でした。
それを打ち破ってケットシーと対話するためにプリキュアは戦い、
コメコメは「憧れのキュアプレシャスと同じ姿になって、同じ2000kcalパンチを
繰り出して、彼の拒絶を突破した。」
「自分は汚い大人の仲間入りをしてしまった、だから
純粋な笑顔の象徴たるお子様ランチを食べる資格はない」そう思っていた彼に
ゆいは「ご飯は笑顔。元気が欲しくなったら食べたっていい」と語り
コメコメは「ドリーミアはとても楽しかった。ゆいのように、沢山の笑顔を作った」
と彼の目標が叶った事を認める。
そうしてケットシーへの想いを伝え、と救いを与えた
コメコメは、彼にとってのヒーローとなった。
序盤で語られた、「ゆいのようなカッコイイヒーローになりたい」というコメコメの
願いはここに成就したのです。
「やり方が間違っていた」と気づいたケットシーはエンドロールで
料理人として再起を図り、お子様ランチを作ってお客さんを笑顔にした。
彼の願いもまたかなったのでした。めでたしめでたし。
※ ※ ※
そういうことでした。
コメコメとケットシー、ゆいへの憧れを持った両者のかかわりが
綺麗にまとまり、そこに絵的な面白さがたっぷりと肉付けされていき
とても満足度の高い作品として完成したわけです。
楽しい場面とダイナミックな絵と特別な変身は見ごたえたっぷりで、
大人の私も満足しましたが、きっとお子さんがたも「楽しかった!」と
言える内容になっていたと信じています。
゚・*:.:♪*・゜゚・♯*:.。. :*・゜細かく気になったところ箇条書き
- コミカルなアニメーション
今回の作画、特に序盤は全体的に見た目が幼く描かれていたように感じました。
作画監督の手癖なのかもしれませんが、頭が大きい割に手足がかなり小さく
小学生かな?と思えるバランスになっています。広報用のスチルもそうですね。
それは違和感を感じてもおかしくないと思うのですが、そうとはならず寧ろ
「子供だけのパーク」の雰囲気にも合っていたように感じました。
そしてアニメーションや表情のつけ方もTVでは見た事が無い味付けで
特にゴミ箱に吸い込まれていくシーンは絵コンテで細かく指定してもキリがない
程に動きと表情が細かく、ダイナミックで面白かった。
すごく印象的だったんですよね。あれ、誰か特別な人が描いたりしてたんでしょうか。
- ブラペ「君とは初めてのはずだが?」
このセリフ、良かったですねえ。
言われなきゃ私も気づかなかったですが、TV本編との矛盾が出ないように
キャラ描写の管理が行き届いている。
これ本当に大事なんですよ…キャラ描写に矛盾があると、それが積み重なるほどに
視聴の熱量は下がって行ってしまうんですから。
逆に行き届いていると感じると安心してキャラクターに感情移入する
事が出来るようにもなる訳です。
- 拓海君、ゆいのほっぺについてたご飯粒取ってたけど、あれ・・・
食べた?(*゚∀゚*)ねえ?
捨てるなんて食べ物粗末にするような事があっちゃいけないよね。
プリキュアの仲間なんだから。てことは(^ω^)うん。
ヒューーーーヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノ
- ゆいがケットシーにお子様ランチ作ったというシーン
それを聞いているおばあちゃんの表情がなぜか寂しげで悲しげ
だったんですよね。
そのころに何かあるんですね?気になるなあ。
- オマケのCGアニメパート
あれはつまり、春映画でコラボできなかった代わりって事でしょうか。
まるで着ぐるみショーのようによく動くし、表情も仕草もかわいらしい。
なんだか技術革新のお披露目も兼ねているのかな?と感じましたが
昔の「ピクサーの後追いみたいな表現」と比べると
オリジナリティがあって、その品質も高い事から全く嫌な感じがしませんでした。
(一時期、CGアニメの表現が露骨にピクサーの真似をしている時期があって、
私はそれが本当に嫌でした。日本アニメには独自の魅力とオリジナリティが
あるのに、それを追求せずピクサ―様の真似をする事こそが素晴らしいのだ、
とでも思っているかのように感じられて、下品だとさえ思ってました。)
「トロピカルなお子様ランチがいい」「ヒーリングな感じ」というオーダーには
「強引だなぁ」と思ってたんですが、「宇宙」というオーダーまで出された時には
「あ、上手いわ」と素直に感心させられました。
お子様ランチ、過去3作のプリキュアの登場、という要素を出来るだけシンプルな
構成で見せるというオーダーを強引に叶えることでギャグとしても成立させて
居る訳です。
良い本編を見終えた後に結構しっかり「食べ応え」のあるデザートまで
付けてもらった気分で、「映画代1900円払ってよかった。」
確かにそう思えた、とても有意義な映画体験でした。